Tuesday, September 13, 2011

67日目 Bye bye, Philippines

67日目。ついにこの日が来たか、という感じ。ちょうど9週間目の日。
本当に朝からツラくて、泣きそうでした。いや、本当ですよ。笑

8時にアイセッカーが迎えに来るということで、待つ。が、もちろん8時には来ない。

その間お世話になった家の人にお手紙を渡し、一緒に住んでいたスタッフの2人、ate RoseとJuliusにお別れをし、ふーちゃんと見送りに来てくれたけんじとソファでまったり。

9時前くらいにアイセッカーJames到着。ちょうど9週間前の到着の日も、彼がピックアップに来てくれました。
最後まで見送ってくれたふーちゃんとけんじ。本当にありがとう!ここでまた、涙目だった私w

空港に向かう途中、本当2カ月早かったよね、という話。今まで出会ったアイセッカーやインターン生の話や、皆集まったパーティの話し、いろいろしましたが、どれもがずっと前にあったんじゃないかってくらい思い出に変わってました。懐かしかったです。

ちょっと早めに空港に着いたため、近くにある巨大なモールなどを見せてもらい、時間になったため空港のゲートへ。本当にフィリピンとはお別れ。ここからは1人でimmigrationに入り、そしてもう日本。考えたら悲しくて切なくて、また涙目に。笑 どんだけ涙目になるんだ、って感じですがw 心配されてかなり慰められて笑、ゲートへ。ありがとう、と何回か言いました。本当にありがとうの気持ちでいっぱいでした。

空港でimmigrationを通過するも、飛行機がかなり遅れていました。中国人に絡まれるというハプニングもあり笑、かなりビビりました。空港で受け取ったメール、ふーちゃん、けんじ、ジュリウス、ジェームス、りょうすけくんから。あれでかなり安心出来ました。何度言っても足りないくらいですが、ありがとう:)

ようやく飛行機が出発。何かいろいろな気持ちが入り混じって寝れずにいると、隣の席の女性に話しかけられる。

Japanese?

…もしかしてちょっとフィリピン人に見えたかな^^;

そうだよ~と言うと、フィリピンで何してたのー?という話し。20代に見えるけど、30代前半の方でした。よくよく話を聞いてみると、日本人男性と結婚して、5か月になる子どもがいるとか。

えっJFC!?と思ってさらに話を聞くと、フィリピンで産んだけど、日本では働かなくちゃいけないからフィリピンにいる両親に子どもを預けてきた、寂しい、と。

ほうほう。何の仕事してるの?



クラブで働いてるの。

…新たなNGOのクライアントになりそうな人がここに。

確かにちょっとクラブのお姉さん的な雰囲気を醸し出している彼女。17歳の時日本に初めて来て、それから日本とフィリピンを行ったり来たりの生活だそうです。フィリピンに帰りたいけど、貧しいから日本で働いているそう。日本語は多少話せるようで話してくれたけれど、日本語は知りたくないから勉強しない、と。

なんで?

と聞くと、

お客さんが汚い言葉で喧嘩したりする、その言葉は理解できないけどすごく悪いことを言っているように感じる。それが理解出来たらもっといやな気分になるから、日本語は勉強したくない。それにほら、私の仕事って、心がない仕事でしょ。だからお客さんの話し聞いてるだけで、話さなくてもいいし。

そう言っていました。「心の無い仕事」っていう部分は日本語で。その日本語、どこで覚えたんでしょう。

私はフィリピンで、日本語を教えていました。皆日本語を話すのが好きで、上手になりたくて、一生懸命。JFCの子だけでなく、以前日本のクラブで働いていた女性も生徒にいました。だから、日本でつらい経験をした人でも、日本自体のことは嫌ってないんだ、と勝手に思っていました。でも違った。彼女はとても日本のことが好きではなさそうだった。日本語には綺麗な言葉や良い言葉がたくさんあるのに、彼女が覚えているのは「心の無い」とか、ネガティブな日本語。悲しかったです。

彼女の夫(日本人)がどういう人なのか分からないから、彼女がどういう状況にあるのか正確には分かりません。今は本当に家庭を築けているのかもしれないし、はたまたその男性が軽い気持ちで彼女と交際しているのかもしれない。子どもを母国においてまでクラブで働き続けなければいけないという事実を客観的に見れば、その男性がしっかりとした(良心的な)人であるとは言い切れません。もしかしたら彼女に、私が見てきたクライアントの経験のような落とし穴が待っているのかもしれません。私はフィリピン女性の出稼ぎ労働者の問題を扱うNGOでインターンをしていたから、何かあったら教えて、と言いましたが、彼女はうんうん、と聞き流していたようでした。彼女が本当に普通に結婚し家庭を築けているなら、何も問題ありませんが。

彼女はその後子どもの日本国籍のパスポートを見せてくれました。この子どもは既に日本国籍を取得しているよう。それを見た瞬間ほっとしました。明日区役所に届けて、子ども手当の申請をするの、ちゃんともらえるかしら、と彼女は言っていました。区役所の人は英語が出来ない人がほとんどで、それでいつも困っている、とも言っていました。東京には在日外国人も多いんだし、もうちょっと行政の対応がよくなるといいのですが…無事に申請出来たのかなぁ。この親子の幸せを願うばかりです。

帰国日に、偶然にもこの出会い。2カ月学んだことが思わぬ形で実践?の場を迎えて自分でも驚きました。

到着ゲートで別れ、私は2カ月ぶりに友達に会いました。この時日本円を1円も持っていなかったので、本当に助かりました。笑

なんとか深夜0時に家に到着。長い1日でした。



ありがとうフィリピン!!さよならじゃなくてSee you again!です★

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